2018年12月23日日曜日

【ポエム】日本は、欧州サッカーを理解し、自分たちのモノにできるか?

現在のサッカーは、欧州がリードしている。

そのため、日本が欧州からサッカーを本格的に学ぼうとする事は自然である。

ただ私は、日本人は欧州のサッカーを本当にモノにできるのだろうか、という疑問を持っている。

システムを自分たちの都合の良いように解釈して、結局表面をなぞるだけになるのではないか?



本記事は、学術と大学を取り巻く状況を、日本サッカーの未来に重ねたポエムです。



内容は次の通り。

  • 日本にもたらされる欧州のサッカー
  • 日本社会の和魂洋才
  • 日本サッカーの和魂洋才
  • 解決方法は?







日本にもたらされる欧州のサッカー


ヴィッセル神戸は、バルセロナ化への道を歩んでいる。

またアルビレックス新潟も、欧州のサッカーを積極的に取り込もうとしている。



他のクラブや、選手・コーチ・トレーナーの個人レベルでも、欧州のやり方を取り入れようとするのは自然な流れである。

では、いつか日本のサッカーが世界をリードし、日本のサッカーを世界に輸出するような日は来るだろうか?

最近の、ロシアワールドカップにおける日本代表の活躍や、数年前のクラブワールドカップでの鹿島対レアル・マドリーの決勝など、日本サッカーが善戦する場面はしばしば見られる。

しかし、「健闘した、善戦した」と言えば聞こえは良いが、日本のクラブチーム代表チームは欧州の一流チームと10戦して5勝できるレベルではない。

これから欧州の流儀を貪欲に導入して、どの程度の差を詰められるだろうか?

欧州の流儀を自分たちのものに昇華できるだろうか?



日本社会の和魂洋才


明治以降、日本が欧米の科学技術を積極的に吸収して発展してきた事は既存の事実である。

その中でしばしば「和魂洋才」という単語が現れ、日本人の精神性を大事にしようと言われてきた。

ただこの和魂洋才が意味する別の一面は、江戸時代由来の日本の古い制度をなるべくそのままにして欧米の科学技術その他を利用するという、日本人の意識(精神性)と欧州の制度の間のズレ・剥離・ボタンの掛け違いである。

(欧米人の意識が、欧米の制度・物事へ取り組む方法を作ってきた。欧米で作られた道具や発見された自然法則は、日本人にも利用可能だが、彼らの意識から発展した(ハードに対してのソフト的な)制度は、現在の日本人の意識に完全になじまなくても当然に思う。)

そしてこのズレは今でも続いており、和魂洋才で運用されてきた制度・システムのいくつかは現在進行中の社会問題となっている。

例えば、人質司法と欧米から批判される人権を軽視した捜査方法であったり、大学の運営交付金を減額し続け、将来の金の卵になりえる基礎科学研究を壊そうとしている財務省の行動だったりする。

(この20年間、日本の科学論文の質と量は停滞し、各国のそれらは増加している。例えば、科学技術指標2018の概要のP8の、自然科学系論文の各国の論文数、シェア、順位の変遷。)

調べれば、和魂洋才の認識のズレが絡んでいそうな日本独自の問題が他にも多くみつかるだろう。

ただ、日本人の多くは、これらの問題を知ってはいても興味が無い。

そして、日本人全体の認識と制度のズレが生み出した状況ゆえに、自分が問題の当事者となった時、助けてくれる人はすごく少ない。



日本サッカーの和魂洋才


日本サッカーの話に戻そう。

クラブレベルの日本サッカーは、欧州のサッカーへの取り組み方を吸収しようとしている。

一方で、例えば、コーチングライセンスに端を発するJリーグの監督持ち回り現象は、クラブレベルで欧州の流儀を表面的に吸収しても解決しない。

現状のJリーグのコーチングライセンスは、古いシステムからの流れがあって、そして日本人のサッカー監督についての考え方が実現化したものである。

Jリーグ開幕の際に大きく変わったと聞いているが、それでも制度的内容的な問題は存在している。(詳しくはWEBで)

となると、現状の日本人監督・コーチ陣が欧州のサッカーへの取り組み方を使おうとすれば、これも和魂洋才の一例になり、根本的な何らかの認識のズレはそのままだろう。

結果、クラブレベルで欧州の流儀を吸収しようとしても、日本人コーチは結局モノにする事ができず、いつまでも欧州のシステムに金を払う事になるのではないだろうか?

技術的な事あるいは認識のズレは、時間が解決してくれると期待しがちだが、ほんとうにそうだろうか?

上述の和魂洋才に由来するいくつかの社会問題を見れば、日本サッカーにおける和魂洋才のズレの解消が簡単だとは思えない。



解決方法は?


これらの和魂洋才の問題をどう解決すべきか、私には特効薬的な解決方法は無い。

しかし、「日本人が欧米人になれば良いんだ」などと言うつもりも無い。


結局、PDCAサイクルのように仕事を進めて、試行錯誤しながら個人レベルの経験を蓄積する事が一番の近道だと思う。

ただJリーグのクラブレベル、そしてそれ以上の団体のレベルで経験を蓄積できるのか、といった問題は存在する。

そしてそれも、膨大な仕事に追い回されがちで、時間配分に明確な優先順位をつけようとしない、日本人と日本社会の意識の顕れとも思う。



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